「失われた30年」といわれる時代を経て、ようやく企業による賃上げへの機運が高まってきました。
政府も「賃上げ」を強く推奨しており、賃上げや人材育成などの投資を積極的に行う企業に対して様々な支援が行われています。賃上げ促進税制もそうした支援制度の1つです。2024年の税制改正では内容の拡充が行われており、すでに取り組みを進めている企業も多いことでしょう。
そこで今回は、賃上げ促進税制について2024年の改正内容や活用メリットなどを解説するとともに、企業が賃上げを実施する際に押さえておきたいポイントもご紹介します。
賃上げ促進税制は、従業員の給与等を前年度より引き上げた場合、増加額の一部を、法人の場合は法人税額から、個人事業主の場合は所得税額から控除できる制度です。2022年度税制改正において積極的な賃上げ等を促すための措置として、当時の「人材確保等促進税制」と中小企業に対して継続されてきた「所得拡大促進税制」を一本化する形で制定されました。
これまでの日本は、バブル崩壊後に始まった長期間の不景気、いわゆる「失われた30年」により、物価も賃金も上昇しないデフレ状態が続いていましたが、2022年頃からの急激な物価上昇により、賃上げを表明する企業が増えました。
財務省の資料によると、2024年度に「ベア(ベースアップ)」または「定期昇給」を実施する企業の割合は、ベアで70.7%、定期昇給で81.9%となっています。
※複数回答 上段(2023年度)・下段(2024年度)
出典:財務省 PDF「地域企業における賃上げ等の動向について (特別調査)」
しかし、2024年度のベースアップの引き上げ率を見ると、「3%以上」と回答した中堅・中小企業等は52.0%と前年度より増加していたものの、「2%未満」という企業が2割ほどあり、「1%未満」つまり実質賃上げできていない企業も5.7%ありました。中には、「業績の改善が見られないが賃上げを実施予定」としていた企業も見られ、原資確保に苦慮している傾向も伺えます。
また、ベアと定期昇給を合わせた賃上げ率も、当初報道された「5%〜6%という企業が最多」の内訳は大企業でのことで、中堅・中小企業等では「2%〜3%」「3%〜4%」が全体の4割強を占めていました。
賃上げは、人材採用強化や定着率向上につながることは明白とはいえ、「賃上げ原資が確保できない」「価格転嫁ができない(追いつかない)」状況では、賃上げしたくてもできない企業も多いのかもしれません。
出典:財務省 PDF「地域企業における賃上げ等の動向について (特別調査)」
こうした実情を踏まえ、原資の確保が難しい中堅・中小企業も賃上げを実施しやすいように、2024年度税制改正で賃上げ促進税制が強化されました。この改正により、制度を活用することで人材定着や生産性の向上を実現する企業の増加が期待されています。
賃上げ促進税制には、必須要件と上乗せ要件があります。
必須要件には次の3つがあり、2024年度税制改正では企業規模と支給額の増加率、適用控除率が見直されました。
※全企業向け・中堅企業向けは、法人税額の20%まで控除できます。
対象となる給与等 | 給与等支給額の増加率 (前事業年度比) |
控除対象雇用者給与等支給増加額からの適用控除率 | |
---|---|---|---|
全企業向け | 適用事業年度における継続雇用者への給与等支給額 | 3%以上増 | 10%控除 |
4%以上増 | 15%控除 | ||
5%以上増 | 20%控除 | ||
7%以上増 | 25%控除 | ||
中堅企業向け | 3%以上増 | 10%控除 | |
4%以上増 | 25%控除 | ||
中小企業向け | 1.5%以上増加 | 15%控除 | |
2.5%以上増加 | 30%控除 |
具体的な要件は次の通りです。
従来の企業規模は「①全企業向け」「③中小企業向け」の2枠でしたが、2024年度税制改正で新たに「②中堅企業向け」が設けられました。中小企業は全枠で適用可能ですが、中堅企業は②枠のみとなります。
企業規模の要件にある「常時使用する従業員数」は、事業年度終了時に労働契約を締結している従業員数で、契約社員、パート、アルバイト、日雇労働者など雇用形態を問いません。(繁忙期に数ヵ月程度の期間の雇用契約も含みます)
出典:経済産業省「賃上げ促進税制」
青色申告書を提出する全法人または個人事業主が対象です。
ただし、適用事業年度終了時において次のいずれかにあてはまる場合は、マルチステークホルダー方針の公表およびその旨の届出が必要となります。
青色申告書を提出する従業員数2,000人以下の法人(いわゆる中堅企業)または個人事業主が対象です。
ただし、適用事業年度終了時に資本金の額または出資金の額が10億円以上、かつ常時使用する従業員数が1,000人以上の場合は、マルチステークホルダー方針の公表およびその旨の届出が必要となります。
なお、グループ企業の場合、中堅企業向け税制では「子会社など支配関係がある企業(海外法人を含む)との従業員数の合計が1万人超」になると対象外になります。また、グループ傘下の企業も、「単体で常時使用する従業員数が2,000人を超える」または「さらに傘下企業があり常時使用する従業員数の合計が1万人超になる」などの場合は、中堅企業向け税制の適用外となります。
出典:経済産業省 PDF「賃上げ促進税制 御利用ガイドブック」(令和6年8月5日公表版)
青色申告書を提出する中小企業者等(資本金1億円以下の法人、農業組合等)または従業員数1,000人以下の個人事業主が対象です。
適用控除率算定に必要な従業員数は、適用事業年度において国内で雇用する継続雇用者で算出します。(使用人兼務役員を含む役員とその親族など特殊関係者は含まれません)
グループ企業の場合、企業規模の要件にある「常時使用する従業員数」には海外子会社の従業員数を含みますが、適用控除率算定に必要な従業員数は国内雇用者のみとなっているため、海外子会社の従業員数は除外となる点に注意が必要です。
また、給与支給額等の増加率は前事業年度と比較するため、二事業年度ともに一般被保険者であることが前提です。このため、年度の途中で入社・退職した人、産休・育休などで休職した人、雇用契約の変更や高年齢者雇用安定法の適用対象となるなど雇用保険の一般被保険者でなくなった人などは対象外となります。
対象になる給与等は、所得税法第28条第1項に規定される給与等が該当し、給料・俸給・賃金と呼ばれるもの、および賞与やこれらの性質を有する給与を指します。支給方法は問わず、残業時間手当や休日出勤手当、通勤手当や住宅手当等の「原則、給与所得」になる手当も含まれます。また、社会保険適用促進手当や代理返還する経費、育児休業期間中の手当、券面額が給与等支給額となる食事代に係る手当も該当します。(退職金など給与所得とならないものは該当しません)
控除率は、控除対象となる給与等支給額の前事業年度からの増加率によって決まります。そのため、対象となる継続雇用者の年収が、前事業年度と比較して全社でどのくらい増加しているかを割り出します。
ただし、グループ企業の場合は、控除対象となる給与等支給額は国内雇用者に対する給与等のみが対象となっているため、海外子会社の従業員に支払った給与等は除外します。(国内の事業所で作成された賃金台帳に名前がある海外出張の従業員への給与等は対象となります)
出典:経済産業省 PDF「賃上げ促進税制 御利用ガイドブック」(令和6年8月5日公表版)
上乗せ要件は「教育訓練費」と「子育てとの両立・女性活躍支援」にかかった費用のうち、次の要件を満たせば必須要件で算出された控除率に一定割合を上乗せすることができるものです。(全企業向け・中堅企業向けには控除上限額が設定されているため、その範囲内での控除となります)
教育訓練費は、所得の金額の計算上損金の額に算入される、全ての国内雇用者に対する教育訓練のために支出された額で、具体的には、次のような教育訓練費が対象となります。
この教育訓練費の額が、「前事業年度より10%以上増え」かつ「適用事業年度の教育訓練費の額が雇用者給与等支給額(適用事業年度の全雇用者に対する給与等支給額)の0.05%以上」の場合、税額控除率を5%(中小企業向けは10%)上乗せすることができます。
この要件は、前事業年度の教育訓練費の額がゼロの場合でも適用できます※。適用にあたっては、前事業年度および適用事業年度における教育訓練費の額に係る明細書の作成・保存が必要です。(提出は不要)
※教育訓練費を他の制度・機関等(国の補助金等、外国法人の本店等を含む)からの支援でまかなった場合は、その金額を差し引かなければなりません。
2024年度税制改正で追加された要件で、子育てとの両立や女性が活躍できる環境整備を進める企業に対して税額控除率が5%上乗せできるものです。
この要件を満たすためには、「次世代育成支援対策推進法」に基づく「くるみん」認定等、または「女性の職業生活における活躍の推進に関する法律」に基づく「えるぼし」認定等の取得が必要です。
「くるみん」認定とは、子育て支援において特に高い水準の取り組みを行っている企業に与えられる認定です。労働者の仕事と子育ての両立に関する「一般事業主行動計画」を策定し、行動計画に定めた目標を達成したなど、一定の基準を満たした場合に認定を受けられます。
また「えるぼし」認定は、女性の活躍に関する取り組みが優良な企業に厚生労働大臣が与える認定です。女性の活躍に関する「一般事業主行動計画」を策定し、取り組みの実施状況が優良であるなど一定の要件を満たした場合に認定を受けられます。
この上乗せ要件については、企業規模ごとに詳細な要件が設定されているため注意が必要です。
出典:経済産業省 PDF「賃上げ促進税制 御利用ガイドブック」(令和6年8月5日公表版)
出典:経済産業省 PDF「中小企業向け 賃上げ促進税制ご利用ガイドブック」
賃上げ促進税制の適用を受けると、次のようなメリットがあります。
賃上げ促進税制は、一定の要件を満たさなければなりませんが、法人税額(個人事業主の場合は所得税額)から税額控除を受けられるため、実質賃金増額分の負担を軽減することができます。
特に中小企業向けの場合、比較的少ない給与等支給額の増加率(1.5%)で全企業向けの「4%以上」要件と同等の控除を受けられます。また、2024年改正では、中小企業向けに繰越控除措置も設けられました。要件を満たす賃上げを実施した年度に控除しきれなかった場合、翌年度以降5年間繰り越せるのも大きな魅力と言えます。
※繰越控除措置を適用する場合は、申告時に繰越税額控除限度超過額の明細書と繰越控除を受ける金額の計算に関する明細書の添付が必要です。
作図参考:経済産業省 PDF「中小企業向け 賃上げ促進税制ご利用ガイドブック」
賃上げ促進税制には、教育訓練を充実させることが上乗せ要件にあるため、人材育成が活性化できます。専門的な知識や技術を習得するキャリア形成をサポートすることで、従業員の働く意欲の醸成にもつながるでしょう。
また、従業員の教育に熱心な企業姿勢は、新規雇用に向けてのアピールポイントにもなり、採用活動の活性化が期待できます。
従業員の賃金が上がることで生活が豊かになり、従業員満足度の向上が期待できます。また、キャリア形成や女性活躍支援なども手厚くなるため、企業に対する帰属意識や貢献意欲の向上も期待できます。
雇用が拡大することで、従業員1人あたりの業務上の負担も軽減され、より働きやすい環境が整備されます。スキルアップによりモチベーションやパフォーマンスが向上することで、結果として業績アップも期待できるようになり、今後の賃上げ原資が確保しやすくなります。
一方で、賃上げ促進税制には少なからずデメリットもあります。
例えば、税額控除は法人税にのみ適用されるため、法人税納税義務がない場合は対象になりません。そのため、前事業年度が存在しない新設企業や赤字企業などは、適用の対象外となります。
また、給与支給額の増加率によって適用控除率が決まるため、企業規模枠ごとに最低要件を満たす必要があります。賃上げを行うと、労働保険や社会保険などの保険料負担も増加するため、計画的に実施しないと資金繰りを悪化させる恐れもあります。給与を一旦引き上げてしまうと簡単に引き下げることが難しいこともあり、損益やキャッシュフローなどと賃上げによる効果を比較しつつ、慎重に判断しなければなりません。
賃上げ促進税制は、あくまで「賃上げを実施するための原資の補填」です。中小企業向け税制には控除経過措置があるものの、基本的には単発的な控除であり、継続的な控除ではありません。また、全企業向け・中堅企業向け税制には控除上限額も定められています。そのため、「いくら控除されるのか」「現実的な収支は今後どうなるか」について、慎重に検討することが求められます。
賃上げの経営への影響が想定以上にならないようにするためには、事前に給与の支払総額をシミュレーションしておくことが重要です。
昇給や賞与の計算にExcelを活用している場合、関数など計算式を変更する必要があります。そのため、担当者が独自に計算式を設定するなど属人化していると、昇給シミュレーションが困難になる恐れがあります。また、賃上げ促進税制の適用可否を検討するには、従業員1人1人の昇給シミュレーションをした後で、対象従業員の年収額から賃上げ率を算出しなければならず、労力と時間を要する作業になるでしょう。
賃上げの影響を効率よく測るには、給与システムなどに装備されている給与計算シミュレーション機能を活用するのがおすすめです。
例えば、給与奉行クラウドや総務人事奉行クラウドの賃金改定オプション※を活用すると、昇給・賞与額の改定案から人件費のシミュレーションや複数の改定案の比較表を自動作成できます。
※賃金改定オプションは別途契約が必要です。
賃金テーブルは、既存のExcelデータをドラッグ&ドロップするだけで登録でき、テーブル改定案も現在のテーブルをもとに簡単に作成できるため、すぐに昇給・賞与額を試算できます。
昇給額は、テーブルの改定案と指定日時点の社員情報を利用した試算や、人事異動案を使用した試算も可能なため、手間なく昇給シミュレーションを行えます。また、比較対象を選択するだけで、複数の給与改定案・賞与算定案の増減率や1人当たりの平均増減額を比較できる比較表が自動作成されます。
任意の組織単位ごとに増減率を一覧出力することもでき、昇給による増減額から賃上げ促進税制の控除額も簡単にシミュレーションできます。
賃上げ促進税制は、賃上げによる原資負担だけでなく、企業が抱える人材不足問題の解決にも大いに期待ができます。この効果を最大限に活かすためにも、給与奉行クラウド等の賃金改定オプションのような昇給シミュレーション機能を使って、より現実的な見通しを立てて賃上げを実現させましょう。